2012年1月24日火曜日

司馬遼太郎 台湾紀行 蔡焜燦 地震 檳榔(ビンロウ) パチンコ

今 通勤電車の中で司馬遼太郎(1996年2月12日 満72歳で死去)

街道をゆく 40  台湾紀行 を読んでます。

阪神大震災の年1995年1月17日の翌月2月22日に

台湾の台北にある新竹シリコンバレーの電子会社へ出張に行きました。

台北のビルの8階で現地の会社の人達と昼食を食べていた時

台湾で地震が発生し揺れ 1ヶ月前の阪神大震災が

頭の中に浮かび とても恐怖心にかられたことがあります。

その台湾紀行の中に 老台北 (ラオタイペイ)即ち蔡焜燦(さいこんさん)、

台湾の台中、清水生まれ 十以上の会社の責任者で

台湾の新竹シリコンバレーに電子会社も持っている剣道の有段者のことが

書かれています。

ちょうど我々がその電子会社を訪問した時 会議が終了して

でできたそこの会長が蔡焜燦(さいこんさん)でした。


流暢な日本語で 日本から来たのか? 司馬遼太郎氏を知っているか?

日本へ帰国した時 この電話番号に電話をかけ(司馬遼太郎宅の

電話番号)、台北で蔡焜燦に会って 司馬先生に宜しくと

言っていたと電話してほしいと頼まれました。

帰国後その電話番号に電話しましたが、先生は不在でしたので、お手伝いさんに

その事を伝言お願いしました。

台湾紀行では蔡焜燦(さいこんさん)と奥様のことが度々登場しています。

その時蔡焜燦(さいこんさん)からもらった名刺が下記です。







また この本で檳榔(ビンロウ)の事も書いていました。 私が数回台湾に出張した時

現地の重量屋さんや作業者がこの檳榔(ビンロウ)を食べていました。

檳榔(ビンロウ)とは檳榔(ビンロウ)と言うヤシ科の植物ですが、その実を

葉に包んだものを噛むと赤いつばがでます。 それをしがんでから吐き出します。

1種のドラッグのようなもので 肉体労働者は食べていましたが、事務所の人達は

だれも食べていませんでした。 10個が1箱で売られていました。

ちょっと怪しげなミニスカートのおねーさんが道路際で売っていました。  

台北は規制が厳しく 見かけませんでしたが、台中から南の道路沿いで売られていました。

現場の作業者から勧められ 1個食べた事がありますが、口の中が真っ赤になり 

とても苦くまずかったです。

話は変わりますが、台湾にもパチンコ屋さんがあります。 

台北は規制が厳しく パチンコ屋さんもありませんが、台中にありました。

出張で泊まっていたホテルの近くにパチンコ屋さんがありました。

同行していた日本のメーカーの社長がぱちキチで台湾でパチンコ屋へ

一緒に行ったことがあります。

パチンコ台は日本の中古機です。  以前私も仕事で 日本からパチンコ台の中古機を

輸出したことがありますが、ちょうどその頃 現地で パチンコ台の中古は

輸入禁止になったところで 輸入許可がおりず 現地の港で処分したことがあります。

台湾のパチンコ屋では パチンコ台にコインで固定して 1人が数台の機械を打っていました。

その社長は日本円で1万程負けていましたが、私はフィーバーにかかり どんどん玉が

でましたが、どうして換金するのか分かりませんでした。 

店員に聞いても 日本語、英語は良く伝わらず 10分待ってくれと言われ

打ちながら待っていましたが、一向に換金しようとしませんでしたので、店長を呼んでもらい

どの様に換金するのか尋ねましたところ トイレの奥から2つ目に入れと言われ

そこから 換金場へ通じていると思いましたが トイレットペーパーの上に

台湾ドルの現金が置いていました。 トイレを出る時 店長がOKかと言われ

OKと返事し パチンコ屋を出て 買ったお金でその社長と飲みに行きました。

翌日代理店の社長に聞いて分かりましたが、換金は日本と違って 

台湾は許可されていないので 日本の様に 外に換金場がないとのことでした。 


この 台湾紀行では 昔の日本が台湾を統治していたこと、

オランダが入り込んでいたこと、蒋介石のこと、台湾人の考え方が 

時代の背景共に書かれており 何度読んでも 勉強になります。



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